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自分勝手がまかり通る世の中
2009.09.24
今日は、ボーイスカウト活動で社会奉仕活動の一環で地域清掃の奉仕活動を行った。まぁ、要は地域のゴミ拾いをするわけだが、班ごとに分かれて空き缶やゴミを拾い集めていくことにした。

特になんてことない活動で、よくあるっちゃよくある内容なのだが後で班長から報告というか相談があった。

班長曰く、班員にゴミを拾うように指示をしたのだが、返ってきたセリフが「拾ったゴミを持って帰らなアカンのはイヤやからやらない」というものだった。それも一人ではなく複数人でそういうことを言い出したらしい。
結局は、班長がゴミを持って帰るからということで渋々ゴミ拾いを始めたらしいのだが、こいつらは、何の為にボーイスカウト活動をしているのかと腹立たしく思った。

こういうことを言い出す輩は、そのほかの活動でもいい加減でサボりの常習者である。その後のテント設営訓練でも、他のスカウトがやっている中、ボーッとしていたり、何もしていないことが多い。

ま、面倒くさいとかの感覚に関しては今も昔も変わらないだろう。
そんな自然発生的な感情を否定するつもりはなく、それよりもそういうことを平気で言えることが不思議に思った。

普通(?)は、そういう事を言う自分が他人から否定されることが多く、また道徳として間違っているという観点から思っても口にはしないものだと思う。
しかし、それを平気でやってのけるのは、自身の生活の中でそんなスタンスでもデメリットが生ずる機会が少ないのだろうかと思ってしまう。
正に、今の「言ったもん勝ちの世の中」なんだろうな。
世間で言われる『モンスターペアレント』と同じである。その親たちも同様に他人から否定されようが道徳の観点からずれていようが、平気で自分勝手な言動を起こすわけであり、問題の大きさは違うにしろ発想から言動への流れは同じだと思う。

『モンスターペアレント』的な話を耳にするといつも思うのが、その保護者の子はその親をどう見ているのだろうかと・・・
子どもからすると、親は「常識の基準」になるわけである。親の言動を見て、それが「当たり前」という形でインプットされ、その子どもの普段の言動に繋がるのだと思う。その理論で行くと、今回の自分勝手なボーイスカウトは保護者が作り出したものなのだろうか・・・?

答えはわからないが、少なくとも子どもの性格に親の言動の影響が大きいことは間違いない。
そういう意味では、親は本気で一生懸命に子どもの見本となるべく生き方をすべきだと思う。
できているできていないは別として、自分はそう意識して「親」をやっている。
それが当たり前だと思っているから。
2009.09.24 00:45 | 固定リンク | ボーイスカウト
人間のスキル
2009.09.01
わが子達には何度か伝えている。
社会に出ると様々な場面での判断(ジャジメント)が自然と要求され、その判断の結果で、自分がやりやすい道、やりにくい道が決まっていく傾向があるということ。

では、その大事な「判断」を司る「人間のスキル(能力)」を養うには、どうすればいいかというと2種類のパターンがあると考えている。
それは、「頭のキレ」と「キャリア(経験)」である。

「頭のキレ」は、天性である。ボーイスカウトやPTAを通じてたくさんの子どもを見てきたが、本当に頭がキレるヤツは幼い時からそうである。間違ってはいけないのは「勉強ができる=頭のキレがよい」ではないということ。頭がキレるヤツが自動的に勉強も得意になることはあっても、その逆はないのである。
要は「頭のキレ」は、訓練や修練で身につくものではなく、生まれながらの脳の構造のような気がする。いわゆる天才ってヤツだな。また、「頭のキレ」というのは何かというと、ボクが考えでは、高速で考えることのできる能力でありかつ、高い正解率であると思う。

ならば、頭がキレない凡人は、頭がキレる天才に勝ることはできないのかというとそうではなく、もう一つの「キャリア(経験)」が重要なのである。

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人間は、判断をしなければならない際に、様々な先読みをしてベストなラインを選択する。その際に、脳の中では未来を想像する処理が行われ、出たケースを取捨選択している。要はそのケースをどれだけ正確に出せるかだと思う。正確というのは数(パターン)もしかり、内容の正確さもしかりである。

そのケースを出す「想像力&創造力」に、「頭のキレ」は非常に重要である。高速で判断し、その高い正確性から様々な予測を立て、いろんなケースを出して素早くベストな答えを導き出す。みなさんが今まで対面してきた頭がキレるヤツは、そういうヤツだったと思うが、どうだろうか?

こういう天才に勝つには、「キャリア(経験)」で勝負するのである。
頭の中で、予測する上で重要なのは過去の経験や知識である。頭がキレるヤツは、少ない経験や知識の中から組み合わせ導き出してくる。まさに「創造力」と言ってもいいだろう。
当然、逆に頭がキレないヤツはそれができないので「創造」できる限界が低くなる。しかし、たくさんの経験や知識を持ち合わせていると話は別である。時間をかけて組み合わせて導き出せることをしなくても、答えが出るのである。その理論からいくと頭がキレるヤツよりもすばらしい判断力を持ち合わせることも可能なのである。

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ボーイスカウトの隊長をしていて、いつも意識していることは、この「キャリア(経験)」をどうやってたくさん与えることができるかということである。
活動の形態から、材料はたくさんあるし、いろんなパターンを深くも浅く広くもできるのである。常日頃、ボーイスカウトに我が子を入れている保護者には口が酸っぱくなるほど言っている。「自分は勉強より大事な事を教えている」と・・・・
それでも、それを正しく理解してくれている保護者は少なそうである。勉強をおろそかにして良いとは言っていない。それを最優先しすぎることを憂いているのであるが、社会的なステータスやネームバリューにこだわっているのか、ボーイスカウトをする数時間より、同時間の勉強を優先する。気持ちはわからなくもないが、たった数時間を惜しむ!! 指導する側としては「う~ん」って感じなんだなぁ。

ま、ともあれ、こういう観点から我が子を見てみるのもおもしろいと思う。
皆さんのお子さんは、キレますか? キャリアをいっぱい持っていますか?

ちなみに、最強は頭がキレて、たくさんのキャリアを持っているヤツである。(爆)
2009.09.01 00:44 | 固定リンク | 生き方
Pain of Judas
2009.08.29
キリスト教を信仰されている方は当然ご存じで、ボクのように宗教をよくわかっていない人にとっても、耳にしたことがあるであろう「ユダの裏切り」。
新約聖書マルコの福音書3章19節にあるのだが、要はイエスキリストの使徒であったユダが密告したことにより、最終的にイエスキリストが処刑されたという話である。

聖書の解釈はそれぞれでいろんな説があり、人々が神を裏切った為に、ユダにその裏切り行為させて、最終的にキリストが処刑されて人々が目覚めたという説がある。その中では、ユダは自分が密告しキリストが処刑されたことの罪の痛みに耐えられず自殺したとなっている。このユダの罪の痛みを「Pain of Judas」(ユダの痛み)と言うらしい。

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この前の無人島キャンプで、自分が耐えきれず、スカウトに手を挙げた。
回し蹴り2発、軽いビンタ5発ぐらい。ボクのことを知っている人からは、たぶん信じられない行為であろう。

長男が生まれた時から、いや、その以前から子どもは動物ではなく「言ってきかせることができる」と信じてきた。だからこそ、我が子には一度も手を挙げたことがなく、それでもそれなりに育っている。手を挙げる行為は子どもに恐怖心を与えるだけで教育ではないと思ってきた。なぜなら、そうされ続けると子どもは「たたかれるから・・・」という動機で、物事を判断すると考えているからである。

ボーイスカウト活動でも、常に形ではなく本質を大事にすることをスカウト達に教えている。教育もそうだと思っている。何が大事なのかという本質を教え理解させ、それに共感して子どもはちゃんとできるのだと思う。それがしつけであると考えている。

この3年間、ボーイスカウト隊でその本質を言葉で伝える教育を行ってきた。
しかし、ここにも書いてあるように、思い通りにはいかなかった。
そして、無人島キャンプ最終日の片付けの時、ある班で、自分たちが手伝わない為に班長が泣いてうずくまっている状況になった。隊長として「どうしたらうまく伝わるだろうか」と頭で模索しながら、要因となっている班員達に話をしていた。
その中で、いつもどおり、こちらの顔を見ない、じっとしない状態で、とても叱られているという状況ではないのである。

常に冷静が自慢のボクでも軽くキレて、一番右のスカウトにおもいっきし回し蹴りをかまし、怒鳴った。スカウト達はびっくりした表情になり、その後、蹴られたスカウトが涙を流し始め、他のスカウトも泣き出した。

その状態で人として大事なことを伝えたが、その時、自分の言葉が伝わっていくのを感じた。

結果オーライであるが、かなりヘコんだ。説教が終わったと泣きそうだったので、サングラスをして海を見て心を静めるように務めた。昼ご飯も食べる気がしなかった。

それ以降、その日は「締める」意味で整列中にグダグダしているスカウトに高速ビンタをかましたら、やはり驚いた顔をした。この時は自分でもスタンツとしてビンタをしているのでそんなにしんどくはない。

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学校では体罰があると、親が怒鳴り込んできて、マスコミも飛びつく。
だから、先生は気軽にこづくことすら出来ない。家庭でもボクのように手を挙げない親が増えてきていると思う。だから、今の子は大人をなめているんだろうか・・・

今でも子どもは「言ってきかせることができる」と信じている。
もちろん、そんな子どももたくさんいるが、それが通用しない子どももいる。
実際に、手を挙げた効果は後日のキャンプ反省会での雰囲気でも出ていて、話をするのが楽しかった。ちゃんと大人の話を聞こうとする姿勢が見られた。

手を挙げるということが、結果として教育的効果があるのが現状であるが、そうしたくない自分との葛藤がしんどい。
手を挙げることの罪の痛みが辛いのは辛い。でも、それが結果的に子ども達をよくする事になるなら隊長としてすべきだと思う。
唯一の救いは、手を挙げても自分がある程度冷静であること。
これが「愛のムチ」なんだろうな。

次節は、「愛のムチ大作戦」で行くつもりである。
2009.08.29 00:43 | 固定リンク | ボーイスカウト

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