トップ団委員長のブログ

モチベーションが上がらない・・・
2009.07.09
ボーイスカウトの指導者仲間はすごく心配してくれている。
それもよくわかっているし、なんとかしなければならないと思っている。
とりあえず、次の道に進む前にリセットする必要があるかなと
先日、自分の隊リーダーで飲み会をした。ま、それなりに盛り上がって
「がんばろうかな」という気にはなったものの、モチベーションが
上がらない。

根本的にそれに集中できない環境があるのが問題なんだろうな。

この不景気で経営している会社がヤバい状況ではある・・・。
その状況でも、正直お金にならない活動がたくさんあり、それに
振り回されている状態である。

毎日が不安で仕方がないが、それでも頼りにされている事もあり
いろんな活動団体(ボランティア関係ばっかり)の事はしなくては
ならない。

不況前は、それなりに会社が安定していたので、ボーイスカウト活動も
含め、安心してやれていたからこそ、集中していいものが子ども達に
提供できていたんだと思う。

今は、そんな背景がなく不安な気持ちのままで、自分の生活の糧に
ならないことで時間を食われているのが、更に不安を呼びしんどいのだろう。

自分がもっともっと強くなり、ガンガンと切り開いていくように
頑張らんとアカンのやろうなぁ・・・・
2009.07.09 00:33 | 固定リンク | ボーイスカウト
つまらん旦那にしばられる嫁
2009.06.22
夫婦の個々を表現する言葉にはいろいろあるが、ここでは「旦那」「嫁」で統一する。

PTAの要職やボーイスカウトの指導者をしているとたくさんの夫婦像を知る機会が増える。まぁ、ほとんどは「嫁の言い分」なのだが、あながち偏っているとも思えないことも多々ある。

PTAとかボーイスカウト活動は、ボランティア活動であってそれをすることにより報酬をもらっているわけではない。子ども達の為に、学校のために、自分の為に・・・といった目的や熱意があり、そのモチベーションがあるからこそ活動できるのである。ま、無報酬であるボランティア活動は全てそうなのだと思うが。
そんなボランティア活動に一生懸命に取り組んでいる「嫁」と話すると「ちっちゃい旦那」・・・「心が狭い旦那」「懐が浅い旦那」が結構いることがわかった。要は、嫁がそういった活動で家を空けることが旦那は気に入らんというわけだ。

もちろん、嫁がそういった活動をすることにより、家事等の家の用事がおろそかになっているなら、それはそれでなんとなくわかるが、それがちゃんとできていても気に入らないらしい。「家にいてくれんと寂しいんかい!!」って言いたくなる。
大体、「嫁は家事をしなければならない」と思っていることも、「ちっちゃいヤツ」と思う。

自分の嫁さんが一生懸命やろうとしていることが家庭外にあり、それで嫁が生き生きしてるなら、それを応援するのが旦那ではないのかと思う。そういった活動に参加することにより家事がおろそかになっているとしても、嫁はそれを気にしているはずである。ならば、旦那が「あぁ、ええよ。オレがやっとくから。頑張っておいで。楽しんでおいで。」というのが「旦那」であり、「男」の甲斐性ではないのだろうか。

それが旦那が嫁を信頼し、認めていることなのだと思う。

今、小中学生を持っている母(嫁)は、学生を卒業して社会人を少しだけ経験しただけで、結婚、出産を経て家庭に入ってしまっている人が多いと思う。家事をこなし、旦那の世話をし、子育てをする毎日が続き、それが何年も続くわけで、その生活の中で他人から影響を受けたり、違う世界に触れる量は、そう多くは無いものである。そういうところから、社会から切り離されているように感じている「嫁」は結構いるようであり、仕事も含め何か家庭外に生き甲斐を見つけたがっているような気がする。ならば、前述したように自分が愛する嫁であるなら、その嫁の生き甲斐を応援するのが「すてきな旦那」ではないのかと思うし、そこに旦那としてのプライドを持つべきではないのかと思う。

旦那によっては「自分は、嫁がパートに行かなくてもいいぐらい稼いでいるから、嫁には仕事をせずに家にいて欲しい」という旦那もいる。それは、嫁がパートに行く効果は、何も収入アップだけではなく、嫁自身の心が豊かに成長することになり、すなわち、それがすばらしい家庭を築く礎にもなることをわかっていないのだろう。私から言わすと「愚の骨頂」である。

夫婦であっても旦那には旦那の、嫁には嫁の人生や生き様がある。
良い意味でお互いに影響を与え合うことはいいだろう。
もちろん、諸般の事情で、互いを制限しあう様なこともあるだろう。
でも、心を少し切り替えて、尊重し合う意志を持つべきである。

そうすれば、もっと夫婦生活は楽しくなるのになぁと思う・・・・
2009.06.22 00:32 | 固定リンク | 夫婦
とある親子を見て・・・
2009.06.15
先日、歩道を歩いていて親子連れを見た。
5メートルほどの幅の道路の両端に歩道があるのだが、進行方向に向かって右側の歩道を父らしい人と3~4歳ぐらいの男の子が歩き、左側の歩道を母らしき人とその妹(勝手に想像(^_^;))らしき人が歩いていた。なんらかで、その女性2名が右側の歩道に渡れず、そのまま平行して歩いていたんだと想像できる。

ある地点で、その男の子が「ママー、こっちだと影があるからおいでよー」と反対側の母に向かって声をかけた。横断歩道も信号もない場所で、母はどうするのかと気になった。

私は、子どもの見ている前で交通ルールを守らない大人はアカンと思う。それを子どもは見て学び、横断歩道が無くても信号が無くても自分で判断して渡るようになり、それは、「社会にルールがあっても自分の判断で破ることはかまわない」という習慣に繋がると考えているからである。

この考えに「考えすぎ」と思う方もおられるだろう。
でも、このケースで母が平気で道路を横断する姿を見せると、逆のケースで合った場合、子どもは平気で飛び出すことにならないかと思う。それだけ、子どもは単純だからである。

案の定、その母は「あらホントー」と道路を横断して子どものそばに来た。
そばにいた父も何もなくそのまま過ごした。

・・・・・・・・・・・

違和感があった・・・自分ならどうするか考えてみた。
たしかに、その地点から次の横断歩道までは50mぐらいあったので、その場で渡りたくなるのは良く理解できるし、自分でも迷うところである。

ひとつの案としては、
「ママねー、そっちへ行きたいけど、ここは車が通るので危ないでしょ? だから、この先の横断歩道で渡るね」
と言って平行のまま歩いていくことだろう。そうすれば、子どもは自然と「それが当たり前」という感じで、道路を歩く際の危険回避や交通ルールを学ぶことができるのだと思う。

もうひとつの案は、こんな感じかな・・・
「ママねー、そっちへ行きたいけど、ここは車が通るので危ないでしょ? だから、危なくないか、右と左を見て車が来ないか見てくれない?」
と子どもにお願いし、子どもが左右確認して「大丈夫だよー」と声をかけてもらい、そして渡るのもいいかなと思った。もちろん、渡りきったら「ありがとう。助かったわ」と声をかけるのは当然のこと。

子どもは、自分の言動で親に喜ばれるのが大好きである。
この方法だと、子どもは「自分が親の役に立った」という満足感に浸り、かつ道路を横断する際には左右の確認が必要であることも学べるだろう。

所詮、その子も大きくなれば、他の友達とつるんで遊ぶようになり、そこからルールを守らない行動も身につくのだろう。ならば、後者の方が親子の信頼関係を築くことができ、安全確認の習慣も身につくような気がする。

どちらにしろ、普段の生活において、より良い子育てができるチャンスはいくらでもあるということになる。ひとつひとつのシーンをちょっと考える習慣があれば、普段の生活や習慣で「しつけ」ができるのにな・・・と思った。

これも考え過ぎなのだろうか・・・
2009.06.15 00:31 | 固定リンク | 子育て

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