トップ団委員長のブログ

読めない名前
2010.01.12
このことは昔から思っていた。
ここに書こうかどうしようか迷っていたが、ブログというものは自分の考えを書き出すものだと思っている。そして、ここでは基本は子どもの視点やベースを元に親や回りの大人の在り方を述べている。

そういう意味から、今までの書いてきた内容も、この私の基本概念に合わない大人には辛辣な表現に読めるかもしれない。今回の内容もそうだと思う。なので、この意見には嫌悪感を感じる人もいるかと思うがひとつの意見だと捉えて欲しい。

子どもには、読めない名前を付けるのはどうかと思う。

漢字の国なので、音読みや訓読み、または同じ漢字でも読み方がいくつかある場合があるので名付けはなかなか難しい。しかし、普段の生活や学校で習った範囲での読み方ではなく、当て字の限界を超えて想像も付かない読み方の名前はどうなんだろう?

たしかに「親の思い」や「親の期待」が込められているものなので全否定するつもりはないが、基本的に、生まれてきた子どもに選択権がないことを考えると、「一生使う名前」という観点で考えて欲しいと思う。
自分は子どもの名前に「親の思い」や「親の期待」を込めるのはあくまでも親としての自己満足の世界だと考えている。もちろん、その名の持つ意味を子どもが理解して、その愛を感じるという親子の関係を結びつける要素もあるだろう。しかし、現実社会では「名前」は個を認識する冠やラベルであり、物理的な意味合いがほとんどである。

さらっと誰でも読めない名前を付けられた子どもは、一生、名前を呼ばれる際に間違えられたり、「なんて読むんですか?」などと聞かれるのである。その子どもが生涯において、こういうシチュエーションをどのくらいの回数体験するのだろうかと思う。

愛に満たされた子どもで、自分の名前に大きな誇りを持っている子どもなら、そこに嫌悪感は感じないと思う。また、そのうち、慣れてしまうこともあるだろう。でも、「また聞かれた」と思うことも多々あるのではないかと思う。

子どもには、読めない名前を付けた親に対してどう考えているのか聞いてみたい。子ども自身が受けるデメリットの回避を優先せずに、親の思い(家族の思いや姓名判断も含む)を優先するのは前述した親の自己満足に過ぎないのではないだろうか? 特に最近はファッション的感覚で名を付けているような気がしてならない。

これをキツく受け止めた方は、子どもに聞くかもしれない。
「読めない名前でイヤ?」と。
でも、おそらく大半の子どもはイヤとは言わないだろう。それは、親の心を知っているからである。親の愛を感じているからである。しかし、前述した実際の弊害は親として名付け前に意識すべきであり、それが親の責任だと思う。

名付けというのは躾けと同等で、我が子が大人なった時に社会で困らないようにするのが正しい在り方ではないだろうか・・・・
私は、読めない名を持つ子どもに出会う度にそう思うのである。
2010.01.12 01:41 | 固定リンク | 子育て

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