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教育に携わるものとして・・・
2009.04.10
自分が思う「親」の基本は・・・・
ま、「親」だけでなく、学校の先生、青少年育成団体の指導者といった子どもの教育、しつけに関わる全ての大人は全般にそうあるべきだと思うんだけど、

「子どもの見本となる」意識を常に持っているか!?

だと思ってる。

上の子が高校の時の担任が言った言葉に「しつけは背中でするものです」という話があった。正に同感だ。子どもは大人からの直接の言葉で育つのではなく、大人を見て育つのだと思う。

ルールを守らない大人がいるから、子どももルールを守らなくなる。
学校や親からで「信号が青になってから渡りましょう」と教えられても、実生活で大人がガンガン信号が赤でも渡っていたら、「あぁ、自分で判断していいんだ」と子どもは思うだろう。当然だな。

普段の大人の世界でもそうだと思う。
自分でできるだけ意識しているのは、「我が子はこうあって欲しいとか、こんな大人になって欲しいと思う人物でいよう」ということだ。
ついつい無意識だと、やはり大人のずるさやえーかげんさが出てしまうものだと思う。ま、それは自然体なんだろうけど、子どもはそこは見てるよねぇ(^_^;)

意識するってことは、自然体ではなく集中する分、精神的に疲弊するもんなんだろうか? それをしんどいと思うか?
もし、しんどいと思うなら、子どもの教育には携わらないで欲しいと思う。

子どもは親を選べない。
先生も選べない。

基本的に教育を受ける権利はあるけど、子どもだから選択肢はない。
だからこそ、教育に携わるものは自分を律するべきであると考えてる。
こう言うと「人間らしい(いいかげんな)ところを見せるのも教育ではないか」と言う人もいる。

そんなことは、その子が大人になったときに判断すればいいと思ってる。
判断力が培われていない子どもにはまずは「正しいこと」を教えるべきだと思う。大人のええかげんなところを見せて教えると幼い判断力で自分の都合の良いように考えるだろう。

ちゃんとした大人だけが、ちゃんとした子どもに育てることができるんちゃうかなぁ・・・・
2009.04.10 00:24 | 固定リンク | 子育て
愛情か過保護か
2009.04.10
先日、地元の中学校の入学式に行ってきた。
ここのP会長が終わって丸1年。去年の今頃はP会長として最後の祝辞を述べたと思うと、今は来賓なので気が楽ではあるが、ちょっと寂しい気分もする。

今年度から校長先生が替わった。「まだ何もわかってませんので」と気さくな感じの校長先生で、これからも良い関係で学校と付き合っていけたらいいと思う。

入学式が終わって、正門近くで子ども達が親と一緒に帰るのを見て校長先生の一言。
「あぁ、ここの中学校では親が結構付いてはるねんねぇ」と。

最初は意味がわからなかったが、前の学校では入学式が終わったら、親は親でさっさと帰り、子どもはオリエンテーション後に別で帰るとのこと。自分の子が在籍していたとき、入学式が終わって、子ども達は教室へ移動するんだけれど、先生方は「良かったら保護者の方もどうぞ」と言われ、当たり前のように移動し、教室は参観日状態になる。それが当たり前だと思っていたけど、地域によるみたいだ。

ウチの学校だけとは思わないが、この区は文教地区と言われるように親の意識が高い人はたしかに多く、区内の中学校は同様に子どもと一緒に帰るんだと思う。

他区のP会長仲間にこの話をすると「えぇ~、そーやで、親はさっさと帰るなぁ」とのこと。そーなんだ・・・・

なぜ、さっさと帰らないのか?
愛情深いから? それとも過保護?
このへん、バランスが難しいところだろうなぁ・・・

まぁ、過保護≒過剰な愛情とも言えるので、微妙なところだ。
実際、自分は我が子に対して過保護とは思っていないけど、入学式の後は一緒に帰った。何も違和感は無いけど、人によってはそれを過保護と見る人もいるだろうなぁ・・・

ま、過保護が持つ問題は、その環境で育った子どもがどう成長するかの結果次第なので、自分が過保護だったかどうかは、わが子らの成長に期待しよう(^_^;)
2009.04.10 00:23 | 固定リンク | 学校

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