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蔑む(さげすむ)心、羨む(うらやむ)心
2009.10.25
ボーイスカウトの子ども達にはよく言う話である。

人間は、弱者見つけると蔑んだ(さげすんだ)言動をしがちである。要は自分より人格・能力などが劣る者を、卑しい者としてばかにしたり、見下したりすることであり、正に「いじめ」が典型的な例であると思う。
いろんな表現があるだろうが、直接的ではなくても陰でこそこそ言ったり、または心の中でつぶやくこともあるだろう。
「あいつアホやわ」
「あかんヤツ」
「や~い、○○」
などと・・・

対して、教者見つけると羨んだ(うらやんだ)言動をしがちである。要は自分より他人が自分より恵まれていたり、優れていたりするのを見て、自分が他人ほど恵まれていないことを不満に思うことであり、それを言葉にして相手を(陰口であれ)攻撃することである。
「なんやあいつ」
「別にすごくないわ」
「いちびっとんか」
などと・・・

多くは理性が未熟な子ども達の世界での話であるが、結構大人でも平気でこの2つの言動を実行する者も多いことにびっくりする。

蔑むという行為?心?は、自分と同等以下の他人を心の中でランクダウンさせ、自分の位置より下であることを自己認識し、安心感を得るのだと考えている。「あいつは自分より下やからオレの方がえらいわ」みたいな感じである。
羨むという行為?心?は、自分より優れている他人を心の中でランクダウンさせ、自分と同等ぐらいまで降ろしてきて、安心感を得るのだと考えている。「あいつ、ええかっこしやがって。何もえらくないわ」みたいな感じである。

人は自分が優れていると実感できると安心する。そういう無意識下からの自然発生的な感情であり、止めることはできないのだが、そう思う(思ってしまう)自分自身は恥ずかしいことなんだと子ども達には教えている。
なぜなら、「蔑む」も「羨む」も自分は何も努力も成長していないのに、相手をそう(心の中だけだとしても)攻撃することにより、いかにも自分が優れていたり恵まれていたりと思おうとしているからである。楽をして自分が他人より(心の中で)上になり安心しようとしている卑しい行動である。

人を蔑むのではなく、自分より劣る者を助けるのが優れた人の行為である。
人を羨むのではなく、自分で努力し、その人を上回ろうとするのが優れた人の行為である。
それを自分のプライドとして実行し、優秀な人になるべきである。

このブログでは、「子どもの見本となる大人」というキーワードを多用している。
子どもを育てる大人で一番大事なことだと思っているからだ。
このブログを見ている大人の方。
子どもの前で、他人を蔑む言動をしていないだろうか??
子どもの前で、他人を羨む言動をしていないだろうか??
子ども達は、それを見ている。それを学習という。
2009.10.25 01:21 | 固定リンク | 子育て

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