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親の手作り
2009.12.04
「親の手作り」という言葉がある。
親が手作りで子どもに与えるものの事であるが、裁縫でこしらえたものであったり、弁当であったり、家で作るご飯もそうである。

昔は、既製品も少なく、ホカ弁屋もなかった。レトルト食品や冷凍食品もなく、コンビニおにぎりもなかった。もちろん、家庭の経済状況も今と比べると良くなかっただろうが、自分が子どもの時は母親の手作りのものが多かった。まわりも同じである。

今は便利な世の中になり、手作りをせずとも既製品が存在し、簡単に調理済みの料理を食べさせることができる。小学校の運動会でも家族でコンビニのお弁当を食べているシーンもあるほどだ。そういった既成物を利用するには理由もあるだろうし、それを否定するつもりはない。また、全てが親の手作りであるべきだとも思わない。

ただ、親が「手作り」という手間をかけて、物や食べ物を子どもに与える意味はなんなんだろうと思う。

教育的には、「子どもに人にしてもらえるありがたさを感じさせる」ということなのかもしれないが、正直、子どもがそこまで繊細に感じ取ることは難しいと思う。ましてや、現代っ子であればあるほど「してもらうのは当たり前」と思うことだろう。では、それ以外には…というと「親としての愛情がなせる行動」なのではないかと思う。

昔は、作るしかなかったからこそ「仕方なく」という感覚もあったかもしれないが、それでも「我が子のために」という気持ちはあるはずである。愛しているからこそ労力をかけるのだと思う。子にかける労力は愛なんだと思う。

今の時代の親は、この便利な世の中で我が子にどれだけ労力をかけているだろうか?
面倒くさいとか、疲れているからと言って、簡単に既製物に頼ってはないだろうか?
もちろん、本当にパワー不足で頼っていることもあるだろうが、安易に頼っていることはないだろうか?
それはただの「手抜き」であり、すなわち子どもへの愛情も手を抜いていること考えるべきではないか。

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このブログで書く内容は非常に神経質なレベルなのかもしれない。
しかし、人間は意識しないと自己中心的な発送や言動になりがちである。
如何に意識を持ち続けるか。それが人間、親としての向上に繋がるものだと信じている。

今日のくだりは、まとまりがない気がするが
多忙につきこの辺で。
2009.12.04 01:33 | 固定リンク | 子育て

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