トップ団委員長のブログ

「意見」と「文句」の違い
2009.10.20
このブログの最初の方に書いてあるように、過去PTAの要職を経験してきた。「長」が付く役職に就くとえらそうに感じるが何もえらくはない。ただ単に代表と言うだけである。

PTA会長をやってショックを受けたことがあった。
「自分は我が子が通っている学校や先生の事を何もわかっていなかった」と・・・

親は、表面だけに見える学校の施策や先生の指導方法だけを見聞きして、あーだーこーだーと文句やクレームを言ったりする。もちろん、我が子の教育に関して関心がある延長線なので、ある意味すばらしいことだがそこに「なぜ、その施策なんだろう」とか「なぜ、そんな指導方法なのだろう」という疑問無しに「それはおかしい」とか「それは間違っている」と頭ごなしの発言をしがちである。

PTAの活動をしていくと必然的に学校や先生との距離は近づき、その裏側が見えてくる。そこで感じたのは前述した反省と「学校の先生」という職業の大変さであった。もちろん学習指導がメインではあるが、それ以外に生活指導、部活動の顧問、カリキュラムの作成、指導研究や研修会への参加、学校行事の運営・・・と授業以外にわんさかあり、そこに保護者の対応も含まれるのである。たしかに、公務員で給料をもらっているわけで「仕事」だろうと言われればそれまでだが、給料をもらっているとしてもあまりにも多忙であり、「割に合わない」と表現してもおかしくないほど、休みなく働かざる得ない職業であることがわかった。

そんな経験からは、自分が属していない世界や環境に対して、意見がある場合は必ず疑問符で言うように心がけている。
「こう思うんですが、なぜそうなんでしょうか?」といった感じである。そういう風に問いかけると、言われた方もちゃんと丁寧にそうしている理由を答えてくれるし、もちろん、こちらも疑問から入っているので聞く耳を持っているわけで、そこでお互いにコンセンサスがとれていい意見交換が出来るようになる。

でも、一般の親は違う。
「あれはおかしい」「これは間違っている」と先生や学校の立場を考えずに一方的な意見を述べる。ひどいのは「おかしいので改善して下さい」といきなり話を持ってくるケースだ。
「自分は正しい」が基本ベースにあるんだろうなぁ・・・何も知らないくせに(´ヘ`;)
そして「意見」というのは言い放しではただの「文句」だと思う。「匿名の意見」なんか最悪で、ただの引きこもりのクレーマーと同じで、意見があるなら堂々と名を名乗って、直接相手と面して逆に反論を受けるぐらいの形を取るべきだと思う。それが意見を言う相手への礼儀ではないかと思う。

学校のやり方や先生のやり方にそんな形で文句をいう親に限って、政治に対しても文句たらたら言っているんだろうなと思う。
そして、そういう人に限って自分では動こうとはしない傾向があるように思う。
文句だけでなく自分が動けばいいのに・・・自分がその組織に入って変えればいいのに・・・

自分では動かずに、言うことだけはえらそうにしている大人を子どもはちゃんと見ている。そして、それを模倣するのである。
それを考えると、親はどうあるべきかが見えてくる。
2009.10.20 01:03 | 固定リンク | 学校

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