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自分で身を守ることができない子ども達
2009.05.25
今日は、夏のキャンプ予定地の無人島へ下見へ行ってきた。
夏は、3泊4日の日程でサバイバルなキャンプを実施する予定なわけだが、指導する側はいろいろと安全面を考えなければならない。

基本的に指導者としては、即命に関わる可能性のある活動・・・特に「水プログラム」と言われる川や海で活動するプログラムは避けたいところだが、大人の思いとは逆に子ども達はそんな活動を好む傾向がある。それはいつの時代も同じで自分が子どもの頃はそうであっただろう。

今回のキャンプでは、「常にリーダーが監視する」という体制で臨むことで指導者同士の認識は一致しているが、こういったプログラムを考える上で、子どもを指導する立場としていつも悩むところである。

最近は、子どもの安全の為にと言う名目で子どもを守りすぎる傾向があるように思う。携帯を持たせる理由もそうだし、子どもの送り迎えもそう。たしかに、子どもを危険や犯罪から守る方法としては堅い方法であるが、自分が子どもの頃はそんな守られ方はされていなかった。時代が変わったと言えばそれまでなのだが、子どもに対する教育という面ではどうなんだろう?

ボーイスカウト活動は、危険に関する事も含め、自分で考え行動することが大事であり、指導者としてもそれを徹底したいと考えている。しかしながら、既に過保護な社会でぬくぬくと育ってきた子ども達には、自分の身を守ることも含め、自分でなんとかしたり考えたりすることができなくなっている子どもがたくさんいるのが現状である。

本当は、この無人島キャンプでも、班単位で自由に行動させ、危険回避も含め自分らで考え、行動する機会を与えたいのが本音である。でも、前述したように今の子ども達には既にそれができない中、どうしても大人の監視が必要となる。大人側も「守る」と「見守る」のバランスがわかっていないことも多く、多くは前者に陥りがちで、子ども達は自分で危険を考える前に大人が止めてしまい、結局は「経験」として活きなくなってしまう。

例えば、子どもは木に登るのが好きな傾向にある。当然、落ちたらケガをするので危険なのだが、それは登ってこそ体感でわかることで、大人に言われただけでは、真の意味での理解にはならない。でも、大人は子どもが木に登ろうとした段階で「危ないからやめなさい」と止めてしまう。それ以外でも、ちょっと危なそうなだけで「やめなさい」と止める大人がたくさんいる。自分は、我が子には「危なくないように遊べ」と声をかけるように意識してきた。当然、その際は「見守る」ことはしている。

年齢によっては、言葉だけの注意で「見守る」こともいらないと考えている。それは自分の経験上、そんな過保護社会でない中で育ってきた自分とその回りの人を見ても、そんなに問題は起きていなかったからである。

「愛情か過保護か」というタイトルで、前にも書いた「過保護」という問題・・・ボーイスカウトの指導者として嫌になってくる要因のひとつでもある・・・
2009.05.25 00:28 | 固定リンク | 子育て
教育に携わるものとして・・・
2009.04.10
自分が思う「親」の基本は・・・・
ま、「親」だけでなく、学校の先生、青少年育成団体の指導者といった子どもの教育、しつけに関わる全ての大人は全般にそうあるべきだと思うんだけど、

「子どもの見本となる」意識を常に持っているか!?

だと思ってる。

上の子が高校の時の担任が言った言葉に「しつけは背中でするものです」という話があった。正に同感だ。子どもは大人からの直接の言葉で育つのではなく、大人を見て育つのだと思う。

ルールを守らない大人がいるから、子どももルールを守らなくなる。
学校や親からで「信号が青になってから渡りましょう」と教えられても、実生活で大人がガンガン信号が赤でも渡っていたら、「あぁ、自分で判断していいんだ」と子どもは思うだろう。当然だな。

普段の大人の世界でもそうだと思う。
自分でできるだけ意識しているのは、「我が子はこうあって欲しいとか、こんな大人になって欲しいと思う人物でいよう」ということだ。
ついつい無意識だと、やはり大人のずるさやえーかげんさが出てしまうものだと思う。ま、それは自然体なんだろうけど、子どもはそこは見てるよねぇ(^_^;)

意識するってことは、自然体ではなく集中する分、精神的に疲弊するもんなんだろうか? それをしんどいと思うか?
もし、しんどいと思うなら、子どもの教育には携わらないで欲しいと思う。

子どもは親を選べない。
先生も選べない。

基本的に教育を受ける権利はあるけど、子どもだから選択肢はない。
だからこそ、教育に携わるものは自分を律するべきであると考えてる。
こう言うと「人間らしい(いいかげんな)ところを見せるのも教育ではないか」と言う人もいる。

そんなことは、その子が大人になったときに判断すればいいと思ってる。
判断力が培われていない子どもにはまずは「正しいこと」を教えるべきだと思う。大人のええかげんなところを見せて教えると幼い判断力で自分の都合の良いように考えるだろう。

ちゃんとした大人だけが、ちゃんとした子どもに育てることができるんちゃうかなぁ・・・・
2009.04.10 00:24 | 固定リンク | 子育て

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